こんにちは!いつもお読みいただきありがとうございます♪
昨日は爽やかな運動会日和でしたが、今日は生憎の雨ですね、みなさんは雨お好きですか?
先日「なんで将来の夢って職業じゃなきゃいけないんだろう」という話題から「呪いの言葉」についてブログを書きたいな、と思いつきました。
私が中学生の頃、将来の夢を考える授業がありました。私はあまりわからない(知らないと言った方が正しい)と、思ったので、率直に「いろんな国に行ってみたい」と書きました。
すると先生に「うーん、じゃあキャビンアテンダントはどう?外国行けるよ」と、暗に「書き直して」という気配を感じ、書き直しました。
すると私の発表を見たクラスメイトに「ももかちゃん、キャビンアテンダントって背が高くて美人しかなれないんだよ」と言われました。悲しかったですが、「じゃあ無理だ」と、一瞬で諦めました。
なんだか勝手に夢ができて、夢がなくなった日として記憶に残っており、自分が子供と接する今になって、「なんで職業じゃなきゃいけなかったんだ?」と思い出すエピソードです。
みなさんもこういう経験ありませんか?
ちょっと批判になりますが、進路指導の材料として必要なら、「職業を書きなさい」と言って、もっと職業について教えてくれたらいいのに。と思います。
夢ってもっときらきらして、誰にも諦めさせる権利はないはずなのに、「職業」にすることで、可か不可かが大体わかってしまう。
なんだかそこで自信をなくして、「自分のやりたいことや好きなことがわからない」という状況になってしまうのではないでしょうか。
「職業」は「お金を稼ぐ手段」であり、「夢」は「生きるエネルギー」だと思います。
「誰かと愛し合いたい」「おしゃれなおうちに住みたい」「好きなだけお菓子を食べたい」そんな風に「大人になることが楽しくなる」ような「夢」、たくさんたくさん描いてほしいです。
きっとそれが未来を切り開く創造力になるから、どんな苦境も乗り越えられる力になると思うから。
そう信じています。
ですが、この日の私のように、他愛もない誰かのふとした言葉が、積み重なって、振り、色んなことを諦めたり、挑戦しなかったりしているんですよね。
「呪いの言葉」というのは、私がある婦人科を受診した際、「このまま悪化すると将来妊娠しづらい、と別の病院で言われました。」と話すと、「あー可哀想に呪いをかけられたんだね」と言われました。
ちょっと「呪い」は大げさかもしれませんが、私にとって真実に聞こえました。
「美人じゃないから」「身長が低いから」「学歴がないから」「健康じゃないから」
誰かにふと、言われたり、見聞きしたことから、私は自分で自分に「呪い」をかけていたことに気づき、ハッとしました。
誰かにまるで真実のように言われたことも、自分が信じなければ、未来は変えられたかもしれません。そういった言葉が全部「呪い」で、真実ではないと思うと、不思議と「呪われたままで、たまるかー!」と逆行しようとポジティブなエネルギーが湧いてきました。
いじめられたり、不採用だったり、失恋したり、辛い経験から次に進めないのはごく自然なことです。ただ少し言われたり、失敗しただけで諦めていることや、挑戦しなかったことが意外と多いな、と私の「プチ呪い」を書き出してみるといっぱいありました。
「不登校」の子供達は学校に行けていない分、普通に大学まで行けた子に比べると「職業の」選択肢が狭まるかと思います。挫折や、苦労も多いかもしれません。
でも、それは他人の物差しであって、自分のせいでも親のせいでもないんです。「職業」は「お金を稼ぐ手段」であり、その人の命の値段ではありません。
過去は振り返らず、思いつく限りの「夢」をひとつずつ叶えていってほしいです。
きっとその先で「自分らしい生き方」に出会えて、それこそが幸せへの道しるべになるのではないでしょうか。
自分で自分にかけている呪い、人のせいではなく、自分で将来に悲観的になっているなって感じたら、「呪われてたまるかー!」って吹き飛ばしちゃってください♪
子供達の呪いも自力で解くしかないんだけど、いつかきっと勇敢に自分の道を歩む日を信じて、一緒に見守っていけたら嬉しいです。
「ハウルの動く城」のソフィーの呪いもそういうメッセージが含まれていたのかもしれないな~とまた観たくなりました笑
ここまでお読みいただきありがとうございました!